<法蔵菩薩から阿弥陀仏へ>
阿弥陀仏は、その前、法蔵菩薩という菩薩さまでした。その法蔵菩薩が阿弥陀仏になって行かれました。これは歴史的事実ではなく、宗教的真実です。
法蔵菩薩は、ある時、あらゆる人々の姿をご覧になりました。それは、煩悩を欠け目なく具え、自分の力では到底さとりを開くことなど不可能な姿でした。そのあらゆる人々を浄土に救い取り、おさとりの仏にしたいと願われたのです。
法蔵菩薩は、条件を付けると必ず救いに漏れる者が出てくるから、条件を一切付けないで救うにはどうすればよいかと、五劫という時間考えられたというのです。一劫とは、これは譬えですが、縦・横・高さ160キロの岩があって、それを天女が3年に一度天から降りて来て、身に着けている衣でサッと擦るとわずかに岩が削れる。それを繰り返して、その岩がすべてなくなる時間を一劫という。五劫はその5倍です。つまり、人間には思い量ることの出来ない時間ということです。私たちを救うために、それほどの時間をかけて、法蔵菩薩は考え抜いて下さいました。
そして、法蔵菩薩は四十八の願いを立て、それを完成するために兆載永劫(ちょうさいようごう)という長い長い時間をかけて修行をして、その四十八願を成就して阿弥陀仏と成られたのです。法蔵菩薩が阿弥陀仏に成ったということは、すでに無条件の救いが完成しているということです。
<南無阿弥陀仏のお喚び声となって>
親鸞聖人ご制作の『正信偈』に「重誓名声聞十方(重ねて誓ふらくは、名声十方に聞こえん)」とあります。名声(みょうしょう)とは、声となった南無阿弥陀仏ということです。法蔵菩薩は、阿弥陀仏と成った時には、南無阿弥陀仏の声となってあらゆる世界に聞こえるようにと重ねて誓われたのです。法蔵菩薩から阿弥陀仏へ、無条件の救いが完成していることが、南無阿弥陀仏の声となって現れているのです。
南無阿弥陀仏には、二方向からの意味があるといえます。それは、阿弥陀仏の方から言うと、「南無」は「まかせよ」という意味、「あらゆるものを救うことのできる仏と成ったから、この阿弥陀仏にまかせなさい」ということです。それがそのまま、私の方から言うと、「南無」は「まかせる」という意味です。私をおさとりの仏にしてくださる「阿弥陀さまにおまかせします」ということです。
阿弥陀さまは見えません。しかし、阿弥陀さまははたらいています。そのはたらきを知らせて下さるのが南無阿弥陀仏です。阿弥陀さまは南無阿弥陀仏という声の仏となって、私たちの口に称えられるお念仏となって、今ここにはたらいていて下さいます。
南無阿弥陀仏は「私にまかせなさい、あなたを必ずおさとりの仏にします、安心しなさい」という阿弥陀さまのお喚び声です。
<阿弥陀さまにまかせる>
江戸時代後期の俳人・小林一茶は、浄土真宗の教えをとても喜び、お念仏を依りどころに人生を送っていかれた方です。
一茶は、52歳で結婚しました。54歳で長男の千太郎が生まれましたが、一ヵ月もしないうちに亡くなりました。その2年後56歳の時には、長女のさとが誕生します。しかし、元気に育っていたさとも、1歳を過ぎた時、急な病で命終えます。
一茶は苦しみました。悲しみは深く、本当に辛い出来事でした。「思い切りがたきは恩愛のきづな也けり」という言葉も残しています。
その悲しみの中で、浄土真宗の教えに出遇っていた一茶は、この年の暮、有名な『おらが春』の終りの句に「ともかくも あなた任せの としの春」と詩っています。あなたとは、阿弥陀さまのことです。一茶自身のことも、幼くして亡くなっていった子ども達のことも、すべて阿弥陀さまにおまかせしますという心境だったのでしょう。
「南無阿弥陀仏」と阿弥陀さまにおまかせする。私のすべてを、はからいなく阿弥陀さまにおまかせした時、必ずおさとりの仏になる身に定まります。
(住職)