阿弥陀さまに抱かれて(132)

-11月の法話-

~親鸞聖人報恩講~

<一番大切な法要>

 

 報恩講は、親鸞聖人の恩徳に報謝する、浄土真宗において一年で一番大切なご法要です。親鸞聖人は、鎌倉時代の弘長2年11月28日(1263年1月16日)に90歳の御生涯を終え、浄土に往生されました。その33回忌で初めて報恩講として勤められ、それ以来、聖人が説き顕して下さった浄土真宗という教えを人生の依りどころとし、大切にされた人々によって、報恩講は勤め伝えられてきました。

 

 現代でも、全国の浄土真宗寺院では、主に秋から冬にかけて報恩講が勤められます。親鸞聖人は、仏教を一般大衆のためにお説きになったご師匠である法然聖人の念仏往生の教えの真意をよく領解し、浄土真宗をお開き下さいました。そのことによって、仏教が広く多くの人々のものとなりました。私たちにとって、そのご恩は誠に深く大きなものがあります。

 

 報恩講は、親鸞聖人のご恩に感謝し、「親鸞さま、ありがとうございます」とお礼を申す法要です。

 

 

<真の念仏の意味を顕す>

 

 親鸞聖人は29歳の時、法然さまのお弟子になり、他力念仏の教えに帰入されました。そして、そこで恵信尼さまとお出会いになり、32、3歳の頃に結婚されました。妻を持ち、家庭を持つ僧侶の誕生です。子どもも生まれました。ここに一般大衆のための仏教が大きく開かれたのです。

 

 それから、聖人は35歳の時、念仏弾圧で越後に流され、その後42歳の頃関東に赴かれました。すでに、当時の関東には法然さまの弟子が多くいて、法然さまの有力な弟子である親鸞聖人のことを知り、その弟子方が、聖人を関東に招いたようです。後に聖人の一番弟子となる性信房が聖人を越後まで迎えに行き、現在の茨城県にお連れしたという記録が残っているそうです。

 

 当時、関東にも念仏はすでに伝わっていました。しかし、当時の関東で広まっていた念仏は呪術的要素の濃い念仏だったようです。念仏を称えることにより、病気を治すことや安産を願ったり、当時凶作は命に関わる大問題でしたから、豊作を願ったりというものでした。そこにそれまでとは違った本当の念仏の意味を、聖人は伝えられたのです。南無阿弥陀仏のお念仏は、私たちの老病死の苦の問題を解決して下さる「阿弥陀仏の救いのはたらき」そのものなのだと説かれたのです。

 

 

<親鸞聖人のお説教>

 

 一日の仕事を終え、集まった人々に、親鸞聖人はどのようなお説教をされたのか、私なりに考えてみます。

 

 「皆さま方も、一日一日の生活、ご苦労も多いことでしょう。ご家族もあり、大切に養っていかなければなりませんね。皆さまもお念仏をお称えのようですが、どのようなお気持ちでお称えになっているでしょうか。

 

 私たちの願いとは何でしょうか。まず生活上のことですね。生活はとても大切ですから、生活がより良くなることを願うことは当然のことでありましょう。金銭的に困りたくない、健康でありたい、家族が安全であって欲しい等々。

 

 しかし「人生は苦なり」とお釈迦さまが説いて下さるように、人生は思い通りにならず、私たちは生きている限り、苦しみから逃れることはできません。そこで、苦しみから逃れる人生か、苦しみを苦しみとし、それを乗り越えて行く人生か。仏教は、苦しみを乗り越える道を説いて下さいます。

 

 まず申し上げておきたいのは、念仏は呪術ではないということです。念仏をすることによって、病気が治るというものでもないし、豊作になるということでもありません。念仏は、病気を治すためにとか、豊作にするためにとか、それらのために利用するものではありません。つまり、この自分の欲望を叶えるための念仏は、本当の信仰ではありません。

 

 苦悩を持たずには生きていくことのできない私たちを問題として下さったのが、阿弥陀仏という仏さまです。阿弥陀仏は、あらゆる人々を、もっと言うと生きとし生けるものを、あらゆる苦悩のないお浄土に救い取ろうとはたらいていて下さるのです。

 

 真の幸せとは何でしょうか。私たちの日々の生活で得る幸せも有難いものです。しかし、それらの幸せはすべて変化していき、壊れていくものばかりです。そして、それらの幸せが無くなった時には、悲しみとなったり、愚痴となったり、不満となったりします。

 

 仏さまは、おさとりの仏と成ることが、決して壊れて無くなることのない真の幸せなのだと、教えて下さいます。仏に成るとは、すべての我執・煩悩がなくなり、あらゆる苦悩がなくなるということです。

 

 『南無阿弥陀仏』のお念仏は、私たちに真の幸せを与えようとはたらき続けていて下さる阿弥陀仏が、私たちのところに至り届いているすがたです。南無阿弥陀仏は、仏さまのはたらきそのものなのです。

 

 悲しいことに、私たちはこの身がある限りは、おさとりの仏と成ることはできません。しかし、南無阿弥陀仏の意味を聞き開いた人生は、阿弥陀仏のお慈悲に包まれて、必ずお浄土に生まれ、仏に成ることが定まった人生です。南無阿弥陀仏は「あなたを必ず救い仏にするぞ、私にまかせなさい」という阿弥陀仏の喚び声であり、はたらきです。それをそのままいただいて「阿弥陀さまにおまかせします」とお礼を申します。お念仏申しましょう。ほら、南無阿弥陀仏が聞こえているでしょう。いま、ここに南無阿弥陀仏がはたらいていらっしゃるのですよ。有難いですね」

 

 親鸞聖人のお説教を聞き続けた関東の人々は、これまでにない喜びを得、大きな安らぎをいただいたことでしょう。必ず浄土に行き仏に成る身に「いま、この人生」で定まることが大事です。これ以上の幸せ、安らぎはありません。

 

(住職)